よあけに目が覚める

よあけに目がさめるんです

よあけに目が覚める7

f:id:kcezunkcezun:20240103053246j:image

よあけに目が覚めるのを生かして、大晦日はお節を作ることを、仕事としてしていた。4時から14時。14時に終わっても10時間働いたんだ、と思うと不思議なお得感があった。

 

初めに並べたのが黒豆とイクラだったので、つぶつぶを見すぎて集合体恐怖症になるのではと思ったが、だんだんお節が出来上がってくるとその華やかさに嬉しくなった。紅白のなます、黄色のクワイの実、南天の葉。料理は彩りが大事、という当たり前のことを改めて思った。

 

すでに年が明けたけれど、年が変わることや記念日に対して、あまり深く思い入れを持つことが、私には出来ない。

したくない訳ではないが、めでたい!!!と心から思うことが、何のせいなのか自分でも分からないが、どうしても難しい。恥ずかしいだけなのかもしれない。あるいはこの件に限らず全体的に冷めているだけなのかもしれない。

振り返れば自分の結婚式でさえ「ウケる、結婚式してる」くらいに受け止めていたと思う。

 

若い頃にブログで誰の誕生日についても―自分のであっても、そこまで感情を入れられない、ということを書いたら通りすがりの人に「自分はマイノリティ」みたいなのおかしい、と怒られてしまったけれど、潜在的にはたくさんいるのではと思う。

 

そして私も、自分が感じられないからと言って他人が大事にしているものを奪いたいとは思っていない。友人や家族の誕生日は祝うし、プレゼントを選ぶ時間は好きだし、祝われて喜んでくれる姿こそはめでたい、嬉しいと思うし、イベントごとへの参加を拒否することもない。

 

普段の私を知っている人はむしろ、お祭り大好き人間だと思っているかもしれない。

楽しいことは好きで、そのために記念日を「利用」している感覚と言ったらいいだろうか。

これを読んだからと言って、記念日や季節イベントの誘いを控えるような気遣いは不要なので安心してほしい。

 

誕生日を別にめでたいと思えないんだよ、と若い頃の私が言ったらその時10くらい年上の友達が、「生まれて無事でいた事に感謝する日と思ってるよ」と言ってくれて、私は確かにカッコつけてマイノリティぶってたかもしれない、と思ってかなり反省したし、めでたい、めでたいと盛り上がることは苦手だけれど、感謝の気持ちを伝えるきっかけとしてなら出来るかもしれないと思った。(多分それまでは、それすらも「記念日の日だけするなら意味あるんか」とひねくれていたのだと思う)

 

 

1年間、無事でよかったです。

 

今年は家族に、そう声をかけた。

 

完成したお節には「安穏」と毛筆で書かれたカードが入れられていた。

暇なことを「無事に苦しむ」とかいうらしいが、「何事も無い」「安穏」な日々をつくる事、がいかに難しく闘いであるかということに、私もあのブログを書いた後にいくつか思い知らされた。その話はまたいつか。