少し久しぶりになってしまった。
引越しをして新しい家になったけど、三角の光のすき間をながめるところからスタートするのは変わっていない。
向きが変わった。
生きている実感とか、ありがたさみたいなのって、どういう時に感じるかなあと、ふと考えていた。
自分のこととして振り返ると、いずれも病気や事件や事故などで「しぬかも!」と思って、でも死ななかった時かもしれない。あるいは近しい人がそれらによりいなくなってしまった時。
ただ、そんなのは誰もが体験できることではないし、する必要もなさそう。むしろない方がいい。
生きてて、弱ることや不意の災いは避けられないとしても、自らそこに入っていくことはない。
もう少し安全なところで思い出してみると、
4歳の時に、
あ、人っていつか死ぬんやな、こわ。
と自宅のトイレの手洗い場で気づいた瞬間があった。(気づいただけで何をした訳でもないのだが)
12歳の時に、
「人類誕生」みたいな、猿が人間に進化したで、みたいな多分NHKの番組を見て、
生きてるってことに感動して1人で泣いていた。
2つとも記憶がかなりくっきりしている。
うーんでもこの2つは、実感、というより予感、くらいのことだなあ。