よあけに目が覚める

よあけに目がさめるんです

よあけに目がさめる10

最近よく夢を見て、それがストーリー仕立てなので非常に疲れる。

 

今日は、友達に誤解から嫌われてしまうが誤解が解けて最後にはかたく抱きしめられて終わる、という夢。

 

誤解が解けて良かったが、最後に友人が「ごめんね!いつか私が死人の役をするときに死亡認定する役をして下さい!!」と泣きながら伝えてくるという台詞があって、脳が「???!?」となって終わり疲れた。(とはいえ夢の中では私も「死亡認定をする役、します!!」と泣きながら大声で答えていた)

 

私の夢は大抵、オチのようなものがあって終わり、目が覚める。どのように辻褄合わせをしているのだろう。長いように感じているが一瞬のうちの出来事なのかもしれない。

 

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よあけに目がさめる9

少し久しぶりになってしまった。

引越しをして新しい家になったけど、三角の光のすき間をながめるところからスタートするのは変わっていない。

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向きが変わった。

 

生きている実感とか、ありがたさみたいなのって、どういう時に感じるかなあと、ふと考えていた。

 

自分のこととして振り返ると、いずれも病気や事件や事故などで「しぬかも!」と思って、でも死ななかった時かもしれない。あるいは近しい人がそれらによりいなくなってしまった時。

 

ただ、そんなのは誰もが体験できることではないし、する必要もなさそう。むしろない方がいい。

生きてて、弱ることや不意の災いは避けられないとしても、自らそこに入っていくことはない。

 

もう少し安全なところで思い出してみると、

 

4歳の時に、

 

あ、人っていつか死ぬんやな、こわ。

 

と自宅のトイレの手洗い場で気づいた瞬間があった。(気づいただけで何をした訳でもないのだが)

 

12歳の時に、

 

「人類誕生」みたいな、猿が人間に進化したで、みたいな多分NHKの番組を見て、

生きてるってことに感動して1人で泣いていた。

 

2つとも記憶がかなりくっきりしている。

 

うーんでもこの2つは、実感、というより予感、くらいのことだなあ。

 

 

 

よあけに目が覚める8

1週間くらい前から、頭が痛い。

一昨日くらいに、耳をあたためると少し良くなるのを発見する。三半規管が弱く、そのための頭痛だからなのか。

「耳 冷える 頭痛」で検索すると、血流がなんたらとかで、耳が冷えると頭痛がするのはよくある事らしい。

確かに寝ている部屋は寒くて、体の右を下にして横になって寝ていると、左側の耳がしもやけになる時があるくらいには耳が冷えている。

が、それは毎年の事で、冬に頭痛が続くのは、1週間頭痛が続くのは、生まれて初めてだ。

のたうち回るほど痛い、訳ではないが、ずっとほんのり、こめかみ周りがキリキリする。

時々めまいもある。(三半規管が弱いのでこれはもとからたまにある)

おかげで、元来の怠け癖に加速がつき、頭痛を理由に、帰宅するとほとんど横になっている。

 

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よあけに目が覚める7

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よあけに目が覚めるのを生かして、大晦日はお節を作ることを、仕事としてしていた。4時から14時。14時に終わっても10時間働いたんだ、と思うと不思議なお得感があった。

 

初めに並べたのが黒豆とイクラだったので、つぶつぶを見すぎて集合体恐怖症になるのではと思ったが、だんだんお節が出来上がってくるとその華やかさに嬉しくなった。紅白のなます、黄色のクワイの実、南天の葉。料理は彩りが大事、という当たり前のことを改めて思った。

 

すでに年が明けたけれど、年が変わることや記念日に対して、あまり深く思い入れを持つことが、私には出来ない。

したくない訳ではないが、めでたい!!!と心から思うことが、何のせいなのか自分でも分からないが、どうしても難しい。恥ずかしいだけなのかもしれない。あるいはこの件に限らず全体的に冷めているだけなのかもしれない。

振り返れば自分の結婚式でさえ「ウケる、結婚式してる」くらいに受け止めていたと思う。

 

若い頃にブログで誰の誕生日についても―自分のであっても、そこまで感情を入れられない、ということを書いたら通りすがりの人に「自分はマイノリティ」みたいなのおかしい、と怒られてしまったけれど、潜在的にはたくさんいるのではと思う。

 

そして私も、自分が感じられないからと言って他人が大事にしているものを奪いたいとは思っていない。友人や家族の誕生日は祝うし、プレゼントを選ぶ時間は好きだし、祝われて喜んでくれる姿こそはめでたい、嬉しいと思うし、イベントごとへの参加を拒否することもない。

 

普段の私を知っている人はむしろ、お祭り大好き人間だと思っているかもしれない。

楽しいことは好きで、そのために記念日を「利用」している感覚と言ったらいいだろうか。

これを読んだからと言って、記念日や季節イベントの誘いを控えるような気遣いは不要なので安心してほしい。

 

誕生日を別にめでたいと思えないんだよ、と若い頃の私が言ったらその時10くらい年上の友達が、「生まれて無事でいた事に感謝する日と思ってるよ」と言ってくれて、私は確かにカッコつけてマイノリティぶってたかもしれない、と思ってかなり反省したし、めでたい、めでたいと盛り上がることは苦手だけれど、感謝の気持ちを伝えるきっかけとしてなら出来るかもしれないと思った。(多分それまでは、それすらも「記念日の日だけするなら意味あるんか」とひねくれていたのだと思う)

 

 

1年間、無事でよかったです。

 

今年は家族に、そう声をかけた。

 

完成したお節には「安穏」と毛筆で書かれたカードが入れられていた。

暇なことを「無事に苦しむ」とかいうらしいが、「何事も無い」「安穏」な日々をつくる事、がいかに難しく闘いであるかということに、私もあのブログを書いた後にいくつか思い知らされた。その話はまたいつか。

 

 

よあけに目が覚める6

目が覚めた時にこれを書いているが、寝起きの頭で書いていて、正直眠たい。

 

最近の睡眠は途中で目覚めてしまうので2部制、もしくは3部制に分かれていて、書いてからだいたいもう一度寝ている。今もこれを書きながら眠たくて、そのせいで少し頭が痛い。

さっき途中まで書いていたが消えてしまった。けれどもう、全く同じことをもう一度書き出すパワーがない。眠たい。

 

今朝、薄明光線を見た。

太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ目から光が漏れて、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える現象。 天使の梯子、とも言うらしい。

 

たしかにアレを見ると、何となくスピリチュアルな気分になる。何かが降りてきてお告げしてくれそうな。

 

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天使からや神のお告げはいつか、されてみたいもんである。言うことを聞くかは別として。

 

 

 

よあけに目が覚める5

いろいろやって訳が分からなくなってしまう質だ。

 

何十年か生きて、いろいろやるのはやめられない、と半ば諦めにも近い感情と共に悟ったため、無理せずにいろいろやることにした。

このブログもそのうちの一つ。

なので、無理せず短く書くことに決めた。

早く起きた日や夜更かしした時の気が向いた時にだけ書く。

 

「いろいろやってしまう話」を誰かにすると「あー居るよねそういう人ね」と、すぐに分かる人が時々いる。

必ずしもではないが、なぜか「あー居るよねそういう(愚かな)人ね」と言われたような気持ちになる時があるのは、自分自身がそう思っているからなのだと思う。

私が何をしても、ひとつのことをずっときちんとやり遂げる人には、敵わない。全ての事が自分はずっと三流以下のレベル。

でももう、このやり方しか分からないと気づいたので、ずっと素人でいいのでなるべく卑屈にならずに健やかに生きていくと決めた。

 

朝早く目覚めるようになって、いろいろやる健やかな私は半年間だけ、新聞配達までした。

手伝わないか、と誘われたタイミングに驚いて快諾した。12月からの半年。雨の日はもちろん、雪の日もあったし、一時的に3つの仕事を掛け持ちする事にもなったが、初めから期間限定だと分かっていたことと、少ない配達数だったためか、楽しんでその期間を終えた。

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よあけに目が覚める4

目が覚める前に夢をみていることが多い。眠りが浅いのかもしれない。

もともと夢はほとんどみないタイプだったので、内容がどんなものでもおおむね楽しんでいる。

 

そういえば父は昔から眠りが浅い。

子どものころ、離れた部屋にいても、お腹が痛いとか、鼻血が出たとか、何かあったときに呼ぶと、母は全然目を覚まさないが、父はすぐ起きてきて対応してくれた。その代わり父は寝ている時間が長い。ちょっと犬みたいだな、と思う。

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